初めての海外赴任先は中国上海

2020年09月29日

ゴムタイムス社

*この記事はゴム・プラスチックの技術専門季刊誌「ポリマーTECH1号」に掲載されました。
*記事で使用している図・表はPDFで確認できます。

ゴムコンサルタントの中国滞在日記

第1回 初めての海外赴任先は中国上海

ゴムコンサルタント 宮本政義

 1996年4月、初めての海外赴任先中国上海の虹橋国際空港に到着。空港を出るとTAXI乗り場には赤色の「夏利:シャレード」が待っていた。ドアを開けるとシートには汚いタオルが掛けてあり、ごみ、髪の毛が目についた。運転手にメモに記したホテル名を見せて市内を移動して無事ホテルに到着。ホテルは市内にあるオークラチェーンであり、近くには日本食のお店もあり一人で街を散策しながら安心して過ごせた。
 まず通訳を採用することになった。現地人材派遣会社経由の紹介で中国社会科学院に勤務する人と面接して一人の男性を採用した。彼の名前は陸一心という。どこかで聞いた名前と思ったら、山崎豊子さんの小説『大地の子』の主人公と同じ名前であった。なんと彼は山崎豊子さんが取材で中国各地を訪問した際の通訳だったそうだ。山崎さんがあなたの名前は素晴らしいと言っていたそうだが、まさか小説の主人公の名前に採用されていたとは本人も知らなかったとのこと。

上半身裸の男にカルチャーショック
 次に駐在生活の住居を探した。安全や利便性を優先して外国人が多く住む古北地区のマンションに決めた。しかし、付近では夜遅くまで公園で大きな音楽でのダンス、芝生で一夜を過ごす人達(一般家庭にはエアコンがない)、上半身裸の男、パジャマ姿の老若男女(外出着か?)が昼間から街に出現しカルチャーショックを受けた。
 いよいよ10月には樹脂コンパウンド品の生産体制も本格的にスタートし営業、開発活動へ向け現地営業スタッフとして日本語能力1級レベルの人達6名を採用したが、ここで最初の問題発生!履歴書に日本語能力試験1級となっていても「さすが優秀だ」「日本語、問題ないね、この人」と判断するのは間違いで、日常会話ができてもビジネスレベルかどうかはまったく別の問題なのだ。まず、私は彼らに3ヵ月間、基礎的なプラスチック技術講座を行い(対象:営業、品質管理担当者週1回、2時間)、ようやく彼らは生き生きしてきた。
 いよいよお客様を訪問して情報交換、技術交流を開始、また現場での成形立ち合いも必要に応じて実施していった。最初の技術指導は、江蘇省昆山市(上海市内から北西へ約50km)に現地ベビー用品会社と合弁した会社「コンビ好孩子」での部品成形立ち合いだった。驚いたことに金型の温調(一定の温度に維持するために水を巡廻させる必要がある)も無く製品の安定した寸法を得ることができない。また樹脂の乾燥設備もないため早急に設備購入を指示して改めて立ち合いをすることにした。スタートから大変な状況であることを認識させられた。

日系自動車メーカーが相次いで進出
 中国は、1993年社会主義市場経済がスタート、2001年にはWTOに加盟、2002年マイカー元年を迎えた。日系自動車メーカーも続々と中国進出計画を発表、1995年3月長安鈴木(重慶)1999年3月広汽本田(広州)、2000年12月四川一汽豊田(成都)、2002年10月天津一汽豊田(天津)2003年6月東風日産(広州・襄陽)が生産開始した。また同時に部品生産メーカーも自動車メーカーの要請により各地域に工場進出した。
 日系自動車メーカーは、

 

 

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