次世代情報通信5G市場で起きるイノベーションと材料技術

2021年03月09日

ゴムタイムス社

*この記事はゴム・プラスチックの技術専門季刊誌「ポリマーTECH」に掲載されました。
*記事で使用している図・表はPDFで確認できます。

特別寄稿 次世代情報通信5Gのイノベーションと材料技術

次世代情報通信5G市場で起きるイノベーションと材料技術

㈱ケンシュー 倉地育夫

1.はじめに

 17世紀に論理学が完成し科学の時代1)となり技術開発が加速して、18世紀半ばには産業革命が起きた。この科学技術の歴史について今更説明する必要はないだろう。20世紀末から21世紀にかけて、その進捗予測よりも市場の変革速度が速くなるような現象まで起きている。その結果、図1に示したように新技術を導入した製品の成長予測が外れたり、過剰な設備投資を招いたりするケースが増えてきた。
 また、ジョン・K・ガルブレイス著「不確実性の時代」(1978年)やアルビン・トフラー著「第3の波」(1980年)が前世紀末にベストセラーとなり、新世紀になるとドラッカーの遺作「ネクスト・ソサエティー」(2002年)が発表された。この著書では、知識労働者が活躍する情報化時代において未来予測が困難となる状況を「誰も見たことのない世界が始まる」と表現している。
 ところが社会の未来予測の難易度が上がっても、このイノベーションは止まらない。それが、インターネット網の過剰投資を招き、情報通信業界の再編成を引き起こした。ガラケーがいつの間にかスマートフォンに置き換わり、携帯機器メーカーは激しい競争に晒されている。
 20世紀までイノベーションを支えてきた材料技術は、従来の方法による研究開発では時間がかかるので、この変革スピードに対応するためには、研究開発から量産に至るこれまでのパラダイムを変えない限り、既存材料をソフトウェアーの工夫で使いこなす情報通信業界の顧客相手ではガラパゴス産業となる恐れがある。
 現代のイノベーションの主役であるソフトウェアー業界は、調査企画から製品化まで段階的な手順で取組むステージゲート的開発スタイルでは技術が陳腐化する現実に遭遇し、オブジェクト指向導入による開発効率の向上3)に成功するやいなや、アジャイル開発4)が行われるようになった。このアジャイル開発とは、オブジェクト指向の導入で初めて可能になった技術開発手法である。
 ところで、現在のイノベーションの牽引役である情報通信業界を支えるのは、コンピューター(ハードウェアー)とそれを動作させるソフトウェアーであり、AIを中心としたソフトウェアーの技術開発とその応用技術開発が主役である。そして、この変化が従来のハードウェア指向で技術開発してきた材料技術者に、目の前で起きているイノベーションの全容を見えにくくしている。
 これは、公開された特許情報に材料技術のイノベーションを示す大きな兆候が現れていないことからも理解できる。なぜなら、東京オリンピック2020開催にあたり、昨年仕様が確定したばかりの5G運用5)6)が始まって周辺市場が活発化してきたにもかかわらず、新素材に関する特許出願が少ないだけでなく新規参入企業も見当たらない。
 この数10年間における材料技術の大きなイノベーションには、1980年代に日本で始まり世界に波及したセラミックスフィーバーがある。この時、既存のセラミックスメーカーだけでなくセラミックス市場とは無関係だった多くの企業からセラミックス材料技術の特許出願が怒涛の如く溢れ出していた。
 そして、この状況はまたたくまに世界へ伝播すると、慌てた米国クリントン政権による大号令で世界規模のナノテクノロジー開発競争へ発展し、セラミックスのみならず金属材料や高分子材料まで巻き込んで技術開発が行われ今日に至る。
 材料開発に要する時間を考えるとゴム・樹脂などの素材産業が5G市場へ参入するには出遅れ感が先立つかもしれないが、材料技術と市場情報が出そろった今のタイミングは開発を始めるチャンスであり、アジャイル開発による市場ニーズのキャッチアップも可能ではないかと過去の材料開発経験から申し上げたい。なぜなら5Gは新しい情報通信時代の幕開けの規格であり、これから「誰も見たことのない市場」が生まれてくるからである。
 すでに自動車産業では、日産自動車アリヤのようなCASEコンセプトをほぼ実現した新車発表が行われるようになってきた。

2.セラミックスフィーバーの教訓

 セラミックスフィーバーが起きたときに、㈱ブリヂストン(当時ブリヂストンタイヤ㈱)でフェノール樹脂とポリエチルシリケートのポリマーアロイを前駆体とした高純度SiC合成プロセスを武器に半導体分野へ進出する企画を提案した経験がある。この社長方針に従った企画では、無機材質研究所(現在は物質材料研究機構)へ留学して高純度化プロセスの実証を成功させるやいなや、㈱ブリヂストンから先行投資2億4千万円を受け、その後30年続く事業を立ち上げている。
 しかし、住友金属工業㈱(現在は日本製鉄㈱)との半導体治工具事業のJVという出口にたどり着いたのは1990年である。その後紆余曲折あり2018年10月に㈱MARUWAへ事業譲渡され、現在もこの事業は続いている。
 この開発では、フローリー・ハギンズ理論で説明のできないポリマーアロイによる技術やゴム会社で全く基盤技術のない異業種の事業ゆえの苦労話以外に無機材質研究所所員との交流、企業の研究所特有の風土問題などドラマになるような話題が盛りだくさんあるが、この時の体験を5G対応材料技術開発に生かせる教訓として箇条書きでまとめると以下となる。
 (1)5Gの普及により新たな市場が生まれるが、会社の事業との関係(適社度)について社内の同意が「どのように」得られるか、よく解析すること。
 (2)新規事業では出口が重要とよく言われるが、お客様から見れば、それは入口である。お客様が率先して入ってくるような入口を用意できるかどうか。
 (3)市場調査の重要性はよく指摘されるが、市場が形成されていない領域をどのように調査するのか。そのスキル獲得方法があるのか。
 (4)分析や解析には科学が重要となるが、技術開発では科学と異なるパラダイムの問題解決法が必要となる。
 (5)know how同様にknow whoは重要である。
 (6)何でもよいから「強み」が必ずあること。

3.次世代情報通信5G市場と要求される 材料技術

 国際電気通信連合(ITU)が2012年に次世代モバイル通信システムの国際標準(International Mobile Telecommunications:IMT)について2020年以降の実現を目標にしたプログラム(IMT-2020)を立ち上げている。これが5Gであり、2015年6月に開催されたITU-Rのワーキングパーティーで2020年までのロードマップが発表され今日に至る。
 5GシステムについてITUサイトに記載された8つの性能を簡単にまとめると、ピークデータレート20Gbit/s、ユーザー体験データレート100Mbit/s、周波数利用効率は3倍、モビリティー500km/h、遅延1ms、接続速度106端末/km2、ネットワークエネルギー効率100倍、エリアトラフィック容量10Mbit/s/m2である。
 この性能について4Gとの比較を示したのが図2である。すなわち、[/hidepost]5Gの性能における重要ポイントは、低遅延かつ大容量通信が実現されることである。材料設計では誘電率制御技術がキーとなる。
 また、4Gよりも優れた情報通信性能を達成した5Gの期待される応用分野については、ITUサイトに下記がまとめられている。
 この図3に書かれた分野において、すでに開発が進んでいる順に新しい市場が立ち上がってゆく。注意点としてそれぞれの分野において5Gのすべての性能が求められているわけではなく、図4に示したように分野ごとに求められている性能が少し異なる。
 市場が大きい自動車分野については、CASE(Connected, Autonomous/Automated, Shared, Electric)と呼ばれる新しい領域で技術革新が進み始めた。これは、約10年後に人間と自動車との関係を革新的に変えると言われている。自動車分野では、必ず「軽量化技術」がニーズとして存在するので、セラミックスや金属で実現された機能を高分子材料に置き換えるイノベーションが市場で起きる可能性が高い。
 このイノベーションでは、高周波領域の物性制御技術、すなわち低誘電率化と誘電正接の低減という具体的な課題が明らかとなっている。
 ところが高分子の誘電のメカニズムと周波数応答については図5のように形式知として知られており、さらに誘電率について科学的に考察すると、有名な次のClausis-Mossottiの式から、分極を小さくすることや低密度化によりモル容積を大きくすること、など高分子材料の改良手段が限られてくる。
 実は20世紀に材料技術に関する科学は大きく進歩し、材料の構造が明らかであれば構造と物性との相関を利用しコンピューターでシミュレーションでき、情報通信分野で要求される材料については、実際に製造しなくてもデバイスとしてその性能を予測できるようになってきた。余談だが、現在アカデミアで研究が行われている、AIの力を借りたマテリアルインフォマティクスは、20世紀の材料科学の成果があるので成り立つ研究である。
 図6にマテリアルインフォマティクスの概説を示したが、このような手法を使えば情報通信業界の技術者でも材料設計できる。
 ただし、情報通信分野で起きているイノベーションの大きなうねりの中で機械学習が科学的に行われる限り、この手法は大した貢献をしないだろう。なぜなら、すでに材料の電子電気物性は明らかになっているから当たり前の材料しか設計できないからである。他方で、驚くべきことに材料メーカーの技術者がデザインできないような材料を設計するような電子機器メーカーが現れている。
 21世紀になり、材料技術者は科学の形式知にとらわれず自由な発想により新材料を創造することが求められている。とりわけ高分子材料技術者に対する期待は大きい。
 なぜなら、金属やセラミックスの電気電子物性は結晶構造を設計して実現され、これは20世紀のセラミックスフィーバーから続くイノベーションで技術が完成されたが、高分子材料では20世紀の科学で明らかにされていない非晶質領域が電気電子物性に関わるからである。換言すればゴムや樹脂材料分野では形式知が未完成のため、AIの機械学習が難しく、ゴムや樹脂技術者の経験知に技術が依存している。

4.ゴム・樹脂材料技術者が5G市場へ参入するコツ

 科学の形式知を用いた材料設計が容易であれば、その限界も明確となる。ゆえに研究開発によるイノベーションを高分子材料分野で企ててもこの市場では成功しない、と考える技術者は従来のパラダイムから抜けきれていないことにすぐ気づく必要がある。
 ㈱ブリヂストンで開発された高純度SiCの前駆体設計では、科学の形式知フローリー・ハギンズ理論で否定されるχの大きな組み合わせ、フェノール樹脂とポリエチルシリケートとのポリマーアロイを用いている。すなわち科学で否定される素材の組み合わせについて技術を工夫して新材料を創造している。
 しかし、この技術開発で最も難しかったのは、非科学的な企画としてゴム会社の研究所で棄却された問題を解決しなければならなかった苦労である。また、社長方針が出ていたとはいえゴム会社でセラミックスの企画を推進するうえで地獄も存在した。セラミックスフィーバーの教訓(1)(以下教訓(X))は、この体験から出ているが、多くの高分子材料メーカーは20世紀末から急成長した情報通信事業と無縁である。ゆえに新規事業領域へ進出するときに社内風土の影響を少なからず受けるので、そこを解決する知恵が求められる。
 ところで新規事業領域のお客様を獲得するには経営戦略と研究開発戦略とがうまく噛み合う必要がある8)。あたりまえのことだが、これが簡単ではないことは先の教訓(1)とも関る。詳細は紙面の都合で省くが、研究開発部隊が営業部隊になるぐらいの発想が必要で、さらにお客様には覗いてみたくなるような魅力的な入口としなければお客様を獲得できない。これが教訓(2)である。
 例えば、高純度SiCの技術開発では市場が育っておらず時期尚早だったので、営業部隊がマーケティングを行っても共同開発企業さえ見つけることはできなかった。そこで当時の研究開発本部長に命じられ研究開発者が自らマーケティングを行うとともに学会発表に力を入れている。その結果、住友金属工業㈱から共同開発の申し出があり、半導体治工具のJVをスタートできた。教訓(3)については、このほかにも方法があると思われるが、目まぐるしく変化する市場ではお客を探しにくく、うまく見つけるにはスキルが求められる。このスキルとして教訓(5)や(6)も大切である。
 さて、科学の形式知ではないが界面分極の問題や負の誘電率の問題を事例に科学以外のパラダイムが必要となる点を少し説明したい。
 非相溶ポリマーブレンドでは、形成されるドメインとマトリックスとの間に必ず界面が形成される。そのため、絶縁破壊電圧がマトリックス単独よりも劣化する。
 例えばPPSの靭性改良のためMXD6を添加すると絶縁破壊電圧は30%ほど低下(コンパウンドによりこれ以上低下する場合もある)するが、これをカオス混合9)すると逆に絶縁破壊電圧がPPS単独よりも改善される。これは科学的に説明できない不思議な現象と思っている。不思議な現象ではあるが、ロバストがあったのでコンパウンドとして商品化されている。
 その他の事例として、図7は、PETフィルム表面に300nmほどの膜厚で形成した酸化第二スズゾル薄膜である。マトリックスにはアクリル系ラテックス(ゴム)を用いている。酸化第二スズゾルは18vol%添加されきれいなパーコレーション転移を生じているので黒いネットワークとして観察される。このフィルムをアルカリ性と酸性の水溶液へ連続的に通過させたところ、フィルムは負の誘電率を示す材料に変化した。
 負の誘電率については1967年にロシアの学者ヴェセラゴが予見しているが、科学の形式知では誘電率や屈折率は正の数で取り扱う。しかし、最近このような負の誘電率を示す材料はメタマテリアルとして研究が活発に行われるようになった。
 この帯電防止フィルム以外にも、すでにいくつか特許も出願10)されるようになってきたが、PPS/6ナイロン/カーボンの配合でカオス混合によりコンパウンドとし押出成形でフィルムを製造するとメタマテリアルが偶然できて困った経験がある。
 このような科学で説明できない現象がまだ材料の世界には存在し、これらの技術に対してどのように取り組むのかといった問題は研究開発マネジメントに関わるだろう。そこで、材料技術者は、アジャイル開発手法を身に着けるとよい。材料メーカーにとって情報通信分野は難解な市場であるが、イノベーションは確実に進行する。ソフトウェアー同様に材料技術のアジャイル開発は、本書で述べた教訓(1)から(6)までを活かす方法でもある。
 機会があれば、負の誘電率の可能性やアジャイル開発について詳細を解説したい。

参考文献

1)Translated from the GERMAN by Thomas J.McCORMACK,The Science of Mechanics(Fourth Edition) by Dr. ERNST MACH,Merchant Books(2007)
2)実線はゴンベルツ関数による予測である。
3)本位田真一・大須賀昭彦著,オブジェクト指向からエージェント指向へ,ソフトバンク(株),(1998)
4)平鍋健児・野中郁次郎著,アジャイル開発とスクラム,(株)翔泳社,(2013)
5)https://www.fiercewireless.com/wireless/special-report-everything-we-know-about-5g
6)https://www.nict.go.jp/global/lde9n2000000bmum-att/a1492144239062.pdf
7)倉地育夫,リン、ホウ素及びケイ素化合物を用いた機能性材料のケミカルプロセシングとその評価,博士論文,(1992)
8)浦川卓也,市場創造の研究開発マネジメント,ダイヤモンド社,(1996)
9)倉地育夫,ポリマー混練り活用ハンドブック,ゴムタイムズ社,(2020)p148
10)特開2014-160947、特開2016-143921、特開2016-51911など

【著者紹介】
倉地育夫
㈱ケンシュー代表取締役・工学博士

全文:約7046文字

関連キーワード:

技術セミナーのご案内

ゴムタイムス主催セミナー