【コラム連載シリーズ】創業者山田猪三郎の軌跡【2】~気球製作所豊間清氏

2016年12月05日

ゴムタイムス社

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 前回に続き、弊社創業者で私の曽祖父にあたる山田猪三郎の軌跡をたどりながら、気球の歴史をひも解いていきます。

「海から空へ」

 曽祖父・山田猪三郎は1894年(明治27年)、高輪に建設した工場で救命浮輪の製作を開始。さらに、折りたたみ式の救命浮輪を発明していました。同じ頃、猪三郎は尊敬していた陸軍工兵会議議長・古川宣誉大佐から、「これからは空を目指して、敵を攻撃する武器を発明すべきである」と促されたようです。その背景には、朝鮮半島の支配権をめぐって勃発した日清戦争がありました。そうした古川大佐の示唆がきっかけとなり、それまで海に浮かぶ物づくりをしていた猪三郎は、空に浮かぶ物づくりに取り組み始めたのです。

「気球のはじまり」       

 日本で初めて気球が使用されたのは、1877年(明治10年)に起きた西南の役だそうです。西郷軍に熊本城を

全文:約1126文字

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