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【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【10】~本社を埼玉県八潮に移転~ 右川清夫氏

2017年06月05日

ゴムタイムス社

 

右川ゴム~本社を埼玉県八潮に移転~

第一次石油ショック

 押出しでできる工業用品の仕事をブリヂストンからもらい、横浜工場へ納品にいったこともあります。やがて第一次石油ショックが到来し、油や合成ゴムが手に入りにくくなりました。

 重油は丸善石油に勤めていた学校の後輩に頼んで間に合わせてもらったり、合成ゴムは、同期入社のブリヂストンの購買の友人に頼んで間に合わせてもらうなど、交友関係の大切さを感じました。

 自動車の窓枠中心の取引に依存したため、もらった手形の割引を銀行に依頼しても「枠がない」と断られ、得意先で割ってもらうなどして、急場をしのいだこともありました。

 ただ、人材には恵まれました。経理、技術に長けた方々、札幌で務めていた警察を退職してきてくれた義理の弟、草野博らの献身的な努力で支えてもらいました。

本社移転に反対した父

 その後、美濃部都知事が打ち出した「白髭地区都市再開発」で、鐘ヶ淵に残るか、移転の土地を求めるかの二者択一を迫られました。

 モラロジー関係の経営の指導者に、「労働集約型の工場は、都内でやっている理由はない」とかねてから指導されていたのですが、この地で生まれ育った父は、移転に反対でした。しかし、昭和47年7月31日、脳血栓で亡くなりました。69才でした。

八潮に移転

 都が計画決定したのを機に、堤通の

 

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